福音時報2024年2月号

目次

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説教

人に惑わされないように、気をつけなさい

マタイによる福音書24章3-14節

安田 修(近畿中会教師)

 直前の段落で主イエスは、壮大なエルサレム神殿が完膚なきまで崩壊することを預言なさいました。この段落は、それに対する弟子たちの質問と主イエスの教えを示しております。弟子たちの主な質問は、神殿が完全に崩壊するような、世の終末は「いつ」起こるのかということと、世の終末の時にはどんな「徴」があるのか、ということです。この二つのことは、すべての人が、意識的、無意識的を問わず、常に気にしていることでありましょう。「いつ」を知ることができれば、それまでは放埓な生き方をしていても、終末の寸前に、神の国に入れるように、生き方を変えることができるからです。もちろん、これは「偽善的な生き方」になります。また、「徴」を知ることができれば、同じく、生き方を、要領よく、変えることができるからです。これも偽善であります。

 

 この、弟子たちの秘かな質問に対して、主イエスは、「」についてはお答えになり、「いつ」についてはお答えになっておりません。ここでは、主イエスは「徴」については、二つの点に絞ってお答えになっています。一つは、「人に惑わされないように気をつけなさい」(4節)。もう一つは、「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」(13節)であります。21世紀に入ってからと言いますか、最近特にその傾向が強いと、多くの方々が感じておられるのは、「徴」に関して、5節以降の、「偽メシア」や、「戦争」、「民族間の紛争」、「国家間の対立」、「飢饉」や「地震」、「キリスト者への圧迫・殺害」などなど、まさに終末が近いと思わせられる出来事の頻発であります。けれども、主イエスはこれらの教えの中で「偽預言者を糾弾しなさい」とか、「戦争に反対し、平和運動をおこしなさい」などということを教えておられるのではなく、ただ、「人に惑わされず、最後まで耐え忍びなさい」という、極めて穏やかな「勧め」をなされています。また、どのような状況にあっても、「あなた方は、全世界に向かって、福音宣教に努めなさい」(参考24:14、28:19)と教えておられるのです。このことは、私たちに神様と御子イエス・キリストへの深い信仰と信頼がなければできないことであります。このことは、使徒言行録など教会の歴史を顧みても明らかなことでありまして、イエス・キリストが十字架におかかりになり、贖いの死を遂げ、復活なさった後の、弟子たちの宣教活動を見れば、明らかであります。私たちも、終末の到来時期に思いを乱されることなく、また終末の「徴」に踊らされず、日々の祈りとみ言葉の学びを通して、御国に入れられる日まで、共に歩み続けたいものであります。

 

現在の神学者紹介

第12回

フェミニストと環境の神学、そして伝道へ

小林宏和(世田谷千歳教会牧師

 「新しい人間性は、ヒエラルキーに基づく社会的地位の特権を捨て、低き者のために語る生き方を通して宣言されるのである」(リュサー『性差別と神の語りかけ』 1996年)「私にとってフェミニズムとは人類としての事業であり必然です。女性も男性も、自分自身の解放のために闘わずに人間になることはできません」(ゼレ『逆境に抗して』2020年)「神の自由な愛からして、被造物は意味と必然性を持っており、神の意図、計画、秩序の担い手であるという賜物を受け取る。……被造物の創造そのものは、被造物が感謝に満ちた本質とて、また、感謝する現実存在へと創造されることである」(バルト『教会教義学 創造論』)

 

 これまで主流であった西方ラテン文化圏以外の声に耳を澄ませ(多声化)、異なる状況の中で福音を分かち合う(文脈化)ことを重視する現代神学の動きの中で展開された黒人神学と同時期に、韓国では軍事政権に抗する民衆神学が抑圧された者の「恨」 の癒しと解放を中心に興り、フィリピンでも独裁政権とその体制を維持する教会を批判する闘争の神学運動が生じました。アフリカでも植民地主義の問題やアパルトヘイトに対して独自の解放の神学が展開されます。以上のように、それぞれが抱える支配と抑圧のイデオロギーに対して社会正義を求める神学運動の流れの中に、フェミニスト・ウーマニスト神学と、環境の神学も位置づけることができます。

 

 フェミニスト神学においては、「もし神が男なら、男が神である」と語ったことで知られるアメリカのメアリー・デイリーのように、女性と男性を敵対的に捉え、父権的宗教であるキリスト教における男性イエスを否定し、教会と袂を分かつラディカルな方向性もありました。しかし他方で、冒頭で引用した古代教父研究家とも知られるアメリカのローズマリー・リューサーのように、神の中に両性を見て、教会からの逃亡ではなく変革を促す方向性もあります。ドイツでもモルトマン・ヴィンデルは、主著『イエスをめぐる女性たち』において、イエスとそのまわりの女性との因習に囚われない交わりを指摘し、聖書に基づく女性の尊厳と人権に対するフェミニスト神学を展開しました。つまり、男性優位的な価値観に基づいて、キリスト教や教会が女性を構造的に抑圧したり(例えば女性聖職者や長老の否定)、不当に暴力的に扱ってきた歴史があるならば(例えば魔女裁判)、それらと批判的に対話をし、教会と社会において女性と男性とを解放させることこそが、キリスト教的フェミニスト神学であるという理解です。

 

 フェミニスト神学の展開の一つ、ウーマニスト神学においては、リューサー、ヴィンデル、あるいはゼレといった白人女性によって女性神学が導かれていたことが反省され、より多元的な人種と文化的な背景を含んだ新しい展開が試みられます。例えばデローレス・ウイリアムは、旧約聖書のハガルの物語を、黒人女性が白人の男女と黒人男性から負わされてきた抑圧と併せて解釈し、現在のアメリカにおいて社会的に低い立場におかれる黒人女性と移民女性たちが神と共に強く生きる姿と、ハガルを重ねました。フェミニスト神学のもう一つの展開は、男性による女性の支配からの解放と、人間による自然の支配からの解放を接続させる環境の神学です。例えばサリー・マクフェイグは、抑圧された者との連帯という聖書のテーマを、抑圧された自然との連帯へと拡大し、神の愛をエコロジカルな視野へと広げます。また、プロセス神学者として知られるジョン・カブは、エコロジーにもエコノミーにもギリシャ語のオイコス(家)という言葉が共有している事実に注目し、環境と経済の神学を互いに関係づけて捉えることの重要性を指摘しました。

 

 さて、ここまで駆け足でシュライエルマッハーから始め、フェミニスト神学、環境の神学へと至る道をたどってきましたが、例えばT・Fトーランスやアリスター・マクグラスが取り組んだ科学と神学や、肝心なアジアと日本の神学については言及できていません。しかしもっとも大切な現代神学は、私たちが生きて働かれる神によって教会に集められ、祝福と共に世に派遣されるという善い繰り返しを通して、何を語り何をなすかということの中にあります。バルトは戦後の人間と世界の混乱の中でも、変わらない神の救いの摂理(オイコノミア)を語り、礼拝から始まるキリスト者だけが持つ、主と共にある明るさを大切に考えました。現代の新しい福音の冒険者として、私たちは召されています。

旧約聖書に聴く

第十戒 出エジプト記20:17 申命記5:21

三好 明(志木北伝道所牧師

心の中の欲望は行為につながる

 第十戒は「隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛とろばなど、隣人のものを一切欲してはならない」(出エジプト20:17 引用聖句はすべて聖書協会共同訳)という戒めである。

 ここで「欲する」と翻訳されているハーマドというヘブライ語の動詞は「欲して得ようとする」という行為を含む意味なのだろうか? 確かに、このハーマドという動詞は行為につながる場合がある。たとえば、エリコの町の占領のときに、アカンは「滅ぼし尽くすべき献げ物」を盗んで罪を犯し、「戦利品の中に、美しいシンアルの外套が一着、銀二百シェケル、重さ五十シェケルの金の延べ棒一本があるのを見て、私はそれらが欲しくなって(ハーマド)取りました」(ヨシュア7:21)と告白する。また、紀元前8世紀のユダ王国においては、権力のある者たちが貧しい人々から土地や家を不当に取り上げていた。そこで、預言者ミカは、彼らが「欲望に駆られて(ハーマド)畑を収奪し/家々を取り上げ/住人から家を、人々からその相続地を強奪する」(ミカ2:2)と述べて、彼らの罪を告発している。

 

 ただし、このハーマドという動詞は、ただ心の中で欲するという文脈でも用いられる。その場合は「好ましい」(詩19:11)「望ましい」(イザヤ53:2)という意味になる。したがって、ハーマドという動詞だけで行為を含む意味があると断定することはできないであろう。第十戒は行為そのものではなく、姦淫や盗みなどの違法な行為につながる心の中の欲望を禁じているのである。

 

 出エジプト記の第十戒で、欲することが禁じられている最初のものは隣人の「家」である。おそらく、この「家」は「世帯」という意味で、世帯の中にあるものとして「妻、男女の奴隷、牛とろば」が挙げられているのであろう。他方、申命記の第十戒では、欲してはならないものの最初に隣人の「妻」が挙げられ、それに続いて「家、畑、男女の奴隷、牛とろば」(申命5:21)という隣人の財産が挙げられている。この場合の「家」は、ミカ書2章2節の「家々」と同じように、建物の「家」であろう。

 

古代オリエントと旧新約聖書の文脈

 紀元前18世紀のハンムラビ法典には次のような条項がある。「もし人の家から火が出て、それを消すのを手伝いに来た人が、その家の人の家財道具を欲しがり、その家の人の家財道具を取ったなら、その人はまさにその火の中に投げ込まれなければならない」(William W. Hallo, ed., The Contextof Scripture, vol. 2のp. 338参照)。この条項で罰せられるのは、欲するだけでなく盗むという行為をした場合である。また、紀元前8世紀末あるいは前7世紀初頭のものと思われる、キリキアの要塞都市カラテペの門柱の碑文には、この都市を欲しがる者に対する呪いの言葉が記されている。そこでも、「もし貪欲からこの門を破り捨てるならば」というように、単なる欲望ではなく「破り捨てる」という行為を表す言葉が追加されている(上掲書、p.150参照)。これらの例と比較すると、行為を表す他の言葉を伴うことなく、隣人のものを欲する欲望それ自体を禁じる第十戒は、古代オリエントの法のでユニークなものである。

 

 旧約聖書には、他人の妻や土地を欲して自分のものにする罪を犯した王たちの話が記されている。ダビデ王は自分の軍隊の勇士ヘトス人ウリヤが戦地で戦っている最中に、ウリヤの妻バト・シェバの水浴びする姿を見て、彼女を欲しくなり宮廷に召し入れて床を共にした(サムエル下11:2-4)。北イスラエル王国のアハブ王は、サマリヤの宮殿の隣にある農地を欲しいと思うが、所有者のナボトに譲渡を拒否された。すると、王妃のイゼベルが「ナボトは神と王を呪った」という罪を捏造してナボトを処刑し、アハブ王はイゼベルの言うままにナボトの土地を自分のものにしようとした(列王上21:1-16)。もしダビデ王やアハブ王が行為になる前の欲望の段階で、隣人の妻や土地を欲すること自体が罪であると気づいて悔い改めたとすれば、姦淫や盗みの罪を犯すことはなかったかもしれない。

 

 新約聖書において、キリストは「あらゆる貪欲に気をつけ、用心しなさい。有り余るほどの物を持っていても、人の命は財産にはよらないからである」(ルカ12:15)と警告しておられる。また、「悪い思い、殺人、姦淫、淫行、盗み、偽証、冒瀆は、心から出て来る」(マタイ15:19)と述べて、心の中にこそ悪の源があることを示しておられる。パウロも「律法が『貪るな』と言わなかったら、私は貪りを知らなかったでしょう」(ローマ7:7)と述べて、「私の中に住んでいる罪」(同7:17, 20)を認識している。そして、「貪欲は偶像礼拝にほかなりません」(コロサイ3:5)と断じて、信徒たちに貪欲を捨てるように勧告している。ヘブライ人への手紙の著者も「金に執着しない生活をし、今持っているもので満足しなさい」(ヘブライ13:5)と勧めている。キリスト者は地上では旅人であり、神ご自身が常にキリスト者と共にいてくださるからである。

 

68 志木北伝道所  志木の地にキリストの教会を建てる

三好 明・末永三平(志木北伝道所)

 埼玉県志木市は、電車で池袋から20数分のところにある東京のベッドタウンです。江戸時代は農産物の集積地であった川越と大消費地の江戸を結ぶ舟運で栄えた町でした。川越から江戸へと流れる新河岸川には引又河岸と呼ばれる船着場があり、引又は江戸時代から商業の町として大変にぎやかであったそうです。

 

 そのため、キリスト教の伝道も早くから行われました。山本秀煌編『日本基督教会史』には、「遠からずして皆新教会設立の運に至るべし」(日本基督一致教会の第四回大会記録の引用)と考えられる伝道地の一つとして、「志木宿」という地名が記されています。しかし、一致教会や(旧)日本基督教会の志木伝道は残念ながら教会建設に至らずに終了しました。その経緯については、神山健吉「志木の黎明期のキリスト教について」『郷土志木』第18号(1989年)、細田信良「志木におけるプロテスタント伝道の流れ」『郷土志木』第46号(2017年)によって知ることができます。

 

 第二次世界大戦後、日本キリスト教会の志木伝道が浦和教会の平田正夫牧師によって始められました。まず1962年4月27日に、会員の五味渕恭宅において家庭集会が行われました。次いで1965年4月、会員の松本光を園長として私立志木幼稚園が開園され、8月から集会が幼稚園園舎で行われるようになりました。そして、1974年4月14日のイースターから、毎週日曜日午後7時半に園舎で浦和教会の伝道所として主日礼拝がささげられるようになりました。平田正夫先生の語る御言は、率直で力強く、絶対の真理は復活の生けるキリストのみであるという信仰を教えられました。少人数ではありましたが、礼拝を守って継続することが私たちの使命であるという思いを与えられました。

  1992年4月2日に東京中会の伝道所として「志木北伝道所」が開設され、浦和教会牧師の中家誠先生が兼任の牧師となりました。平田正夫先生は長期応援教師として1996年6月まで仕えてくださり、北川裕明先生の応援の時期を経て、1998年12月に三好明が牧師に就職しました。

 

 三好明牧師が就職した直後に、礼拝の場所であった幼稚園がまもなく閉園となるということが明らかになりました。牧師と委員会は土地を購入して教会堂を建築するための準備を始めました。そして、志木北の教会員と浦和教会はじめ近隣の諸教会と全国の日本キリスト教会諸教会から献金が献げられ、幼稚園跡地の一部103㎡を購入して教会堂を建築し、2002年3月に献堂式を行いました。このとき現住陪餐会員は9名で、約3,000万円の返済すべき借入金がありました。2002年から2019年まで毎年、クリスチャンの演奏家を招いて音楽を用いた伝道集会を実施しました。礼拝に集った求道者の中から洗礼を受ける人たちが起こされました。日本キリスト教会の他教会からの転入者や他教派の教会からの入会者も与えられました。

 礼拝後に「教会独立のための祈祷会」を行いました。その祈祷会の中では、独立教会の形成を目指す祈りとともに、教会員・客員・求道者の近況を覚えて執り成しの祈りをささげることに努めました。私たちは、世界宣教の歴史の中で、自給(セルフ・サポート)、自伝(セルフ・プロパゲイション)、自治(セルフ・ガバメント)を行う土着化した独立教会の形成を目指す宣教論があったことに注目し、この宣教論に基づいて学びを重ねました。2011年を最後にして近隣の諸教会からの指定献金を辞退し、それ以降は東京中会からの援助金も時間をかけて少しずつ減らしていただきました。それとともに「教会独立準備金」の献金をささげて、大会や中会に対する財政的責任を負えるようになるべく準備をしました。

 

 教会の自治のためには、信仰共同体を治める長老を育てていかねばなりません。そこで、2010年から毎月の伝道所委員会において学びをしました。これまでに学んだテキストは、信仰と制度に関する委員会編『「日本キリスト教会信仰の告白」解説集』、桑原昭著『信仰の学校』、久野牧著『わたしたちの信仰(第三版)』、『日本キリスト教会小信仰問答(1964年版)』、『日本キリスト教会大信仰問答』、「現代日本の状況における教会と国家に関する指針」(1983年)、そして日本キリスト教会憲法・規則の一部です。

 2023年6月18日には大会応援伝道として東京中会議長の真田泉先生をお招きして、主日礼拝と講演会「伝道所と独立教会について」を行いました。さらに、10月29日には南浦和教会の藤井和弘先生を議長として、臨時総会を開催しました。2024年3月の定期東京中会に「教会建設願」を提出することと三好明を牧師として招聘すること等を満場一致で可決し、4名の長老となるべき人を選出しました。

①連載のはじめに

信仰と教会、自由を考える機会に

吉平敏行(神戸布引教会牧師・出版局委員)

 プロテスタント教会の主流派と自認する教団・教会には無縁と思われていたのがカルト問題でしょう。安倍晋三元首相銃撃事件後、旧統一協会(現「世界平和統一家庭連

合」)の法外な献金による家族崩壊が注目されましたが、それ以上に新興宗教の献金問題として焦点があるように思われます。さらに昨年末から、エホバの証人(ものみの塔聖書冊子協会)で、親(と団体)からの信仰上の指導として、学校行事への不参加、大学進学の断念など、今なお苦しむ信者の子どもたちの声が取り上げられるようになりました。輸血拒否の一件でも教理的に問題があります。エホバの証人はキリスト教の一派とみられているだけに、傍観してはいられない問題となってきました。

 

 「カルト問題」は教会でこそ論じられるべき課題との認識から、出版局では、カルトについて正しい情報を得て、「福音時報」を通じて、広く問題提起をしていく必要があると考えました。協議を経て、信頼できる講師から説明を受けること、カルトに関わる最低限の知識を得た上で、出版局主催で講演会を開けないかという案まで出てきました。

 折しも、教派を超えたカルトについて学ぶ会が開かれたことを知り、参加された中家契介牧師(仙台黒松教会)から、齋藤篤牧師(日本基督教団仙台宮城野教会)のことを教えていただき、出版局とのZoom会議を持ち、先生も共著として上梓された『わたしが「カルト」に?ーゆがんだ支配はすぐそばにー』(日本キリスト教団出版局)を紹介していただきました。齋藤篤先生には、福音時報2024年3月号から執筆いただくことになっています。

 

 本書冒頭で、日本脱カルト協会顧問の川島堅二先生が、今日に至るまでのカルトの流れを概観しておられます。その末尾、カルトの萌芽としての「支配・被支配の構造」とカルトが「ゆがんだ支配」構造を持っているという点は押さえておく必要があります。

 本書の著者がともに現在牧師をしておられること、お二人ともカルトに入り、そこから脱出した経験をお持ちであることが、内容に説得力を与えています。特にⅡ部第3章「カルトと『マインド・コントロール』」では、エホバの証人に引き込まれていく過程が細やかに書かれており、体験者ならではの分析がなされています。「ラブシャワー」と呼ばれる温かなもてなしを受け、興味が湧き、しばらくすると「好意、信頼」が芽生え、指導者からものの善悪を教えられるころには、「周囲からの反対」の声すら「悪魔の攻撃」に聞こえてくる……。もう立派なエホバの証人です。まだ何も起こっていない段階での、「聖書に興味があった」との先生の言葉はカルトに関わるきっかけとして重要です。「聖書への興味」が教会に繋がるきっかけになったはずですが、残念なことに違う道を歩み始めてしまうことがあるのです。

 

 Ⅲ部「カルト被害防止のために」で、竹迫之牧師はカルト問題が蔓延する背景として、「普段の人間関係やその形成に弱点が多く潜んでいる社会」を挙げています。社会には「対話」的でなく、「説得」したがる人ばかりが目につく、との言葉にハッとさせられ、「そういう世相についていけず、むしろ息苦しさを感じている心根の優しい人たちが、かえってカルトに取り込まれていくような気さえしてきます」には、カルトからの救出に尽力される牧師の苦悩が滲み出ています。

 もうちょっと弱い立場の人たちに思いをはせる社会であったなら……。

 もうちょっと疲れた人に寛容な社会であったなら……。

 もうちょっと他人の痛みに敏感な社会であったなら……。

 主流派と自認してきた教会は、このように訴える牧師の声をどう聞くのでしょう。わたしも大学時代、キャンパスで(旧)統一教会信者の勧誘を受けました。部活に心を燃やしていたので、誘いの言葉に魅力を感じませんでしたが、もし、心が渇いていたらどうだったでしょう。生きる意味、喜び、崇高な目標……。自信たっぷりに笑顔で語られていたら……。わたしは引き込まれていたでしょう。

 人生に悩み、生きる意味を真剣に問い、共に考える仲間を求める「心根の優しい人たち」は、もし、毎週教会に集う信者が、(そうとは知らず、自然に)温かく迎え、言葉を交わし、彼らの求めに耳を傾け、そこで安心できれば、やがて教会に根付いて、さらに親しい友だちを誘ってくるのではないでしょうか。わたしを含む、現在中高年となる信者の方々は、かつて、そのように教会に迎え入れられたのではなかったでしょうか。

 カルト問題とは、まさしく、キリスト者が、現在の信仰、教会、交わり、そして喜びをもって自由に生きるという日常生活の根幹を問う、わたしたち自身の課題なのです。

次世代へのメッセージ

次世代へのメッセージ22

後で、分かるようになる

久野 牧(北海道中会教師)

 わたしは1941年に韓国・京城(ソウル)で生まれ、1943年京城の日本人教会で小児洗礼を受けました。家族は戦後まもなく福岡に引き上げ、以後、福岡城南教会に通い、高校3年生のクリスマス礼拝において、他の友人と共に信仰告白をしました。

 父は、わたしに「牧」と書いて「のぞむ」と読ませる名をつけました。この名について父に尋ねたことはありませんでしたが、高校生の頃に、それまで父親から直接聞いたことがない自分の名前の由来を、夏期伝道の神学生によって知らされることになりました。「君のお父さんは、自身、牧師になりたかったけれども、家族から強く反対されて牧師の道を断念した。そして自分の長男である君に、叶えられなかった自分の望みを込めて、『牧』という字を選び、それを『のぞむ』と読ませるようにしたそうだよ」。神学生は続けて言いました。「君、神学校に進んで牧師にならないかね」。そのとき、わたしはそれまであまり好きではなかった自分の名をますます嫌いになりました。「死んでも牧師にはならない」、それがわたしのその時の思いでした。神学生たちは青年たちに良い刺激を与えてくれたのですが、「神学校に行かないか」との毎年の誘いかけは拒み続けました。

 

 人付き合いもあまり上手ではなかったわたしは、大学に進学し生物学を選んで研究者になるつもりで、大学院博士課程2年まで進みました。大学院在学中の1968年6月に、大学構内に米軍機が墜落するという大きな事件が起こりました。学生たちは反戦の象徴としてのジェット機を米軍に返還することを拒んでバリケードを築き、激しく抵抗。それをきっかけに大学ではヴェトナム戦争反対の機運が一層高まりました。わたしもそれに加わって「戦争反対!ヴェトナムに平和を!」とシュプレヒコールをあげながら市内をデモ行進しました。

 そのようなときでした。ヴェトナム戦争に抗議するある学生集会で、わたしたちの研究室が米軍から年に100万円の研究費をもらっていることが追及されたのです。研究室は、補助を受ける条件として一年間の研究成果を毎年米軍に報告するという義務がありました。それらのことは漠然と知ってはいましたが、研究成果が生物化学兵器の基礎データとして用いられる可能性があることなどは、その時には思いも及びませんでした。「それは紛れもなく間接的な戦争協力であり、戦争への加担だ」との厳しい糾弾を受けて自分の無知を知らされ、愕然としました。

 

 そんな重大なことに考えも及ばず、ただ漫然と研究を続け、戦争反対を唱えていた自分の生き方に疑問を抱き、自分は何をなすべきかと改めて問わざるを得なくさせられました。そういう中で、「もしかすると以前から呼びかけられていた牧師の道を歩むべきではないのか」ということが脳裏をよぎりました。悩み祈りつつ真剣に問い続けた結果、示されたのは牧師としての道でした。1968年の夏の終わり頃に、「大学院を中退して神学校に進もう」との決意が与えられました。その時の決断は悲壮なものではなく、極めて穏やかなものであったことを思い出します。すぐに神学校入学の準備を始め、翌年3月に大学院を中退し、4月に日本キリスト教会神学校入学が許されました。1973年3月に神学校を卒業し、今日まで伝道者としての道を歩むことが許されました。

 主イエスは言われました。「 わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」(ヨハネ13:7)。幼い時やごく若い時は分からなかったのですが、わたしの生の背後に父の祈りがあったことを考えさせられます。神学生たちの言葉かけも、いやでしたけれどもいつも心に残っていました。

 

 家庭の交わりや会話の中で、信仰の事柄を、相手がまだ十分に理解できなくても、折に触れて伝え、丁寧に語り合うことが大切です。聞いた言葉は心に留まり、いつか思い出し、神の時が満ちて力を発揮することがあります。聞いたことがない言葉は思い出すことはありません。マリアは羊飼いの言葉や幼子イエスの言葉を、その時は理解できませんでしたが、「心に留めた」のです(ルカ2章参照)。そういった意味で、日曜学校の生徒や求道の友たちに折に触れて御言葉を生き生きと語り伝えること、そして彼らのために祈り続けることは、先に信仰へと導かれた者たちの次世代への大きな務めであると思わされています。

全国長老交流会/長老ネット

長老/執事デジタルコミュニティ

吉田 純(香里園教会長老/長老ネット事務局)

 全国長老交流会は、長老・委員の交流の場として、1986年から開催されています。学びや、課題の議論、情報共有などを行っています。日本キリスト教会には、長老・委員は576名おられます。いったい、何人知っているでしょうか。そのような中にあって、実際に顔を合わせて話ができる機会があるというのはとても価値のあることだと考えます。

 一方、デジタルの普及により、各人が対面でなくても、会議や交流のできる環境が一般化して来ました。そこで、2018年の交流会で、対面だけでなくて、オンラインでも交流していこうという提案が出され、賛同を得て2019年5月1日から“長老ネット”として運用が始まりました。趣旨は、「日本キリスト教会の長老間の交わりを日常化し、活発化するために、情報交換・情報共有するための場をネット上に設けます」としています。

 現在、同報メールを使ってメッセージ交換しています。長老ネットのメールアドレス宛にメールを送れば(参加登録必要)、誰かが応えてくれる。やり取りは会議のように全員に伝わるというものです。対面の交流会に加えて、オンラインでの交流を日常化していくことが、現下の様々な課題に対応するための一つの情報基盤になると考えています。

 長老・委員の方は是非とも“長老ネット”に参加してください。長老ネットのホームページ nikki-choro.jimdofree.comの参加登録ボタンをクリックしてください。

靖国神社問題全国協議会

2023年度靖国神社問題全国協議会(10月17日)の簡単なご報告

小塩海平(東京告白教会長老)

 今年になって、北海道中会のヤスクニ・社会問題委員会の先生方から、遠軽教会、滝川教会に戦時中の生々しい資料が保存されていることを教えていただき、今年度の靖国神社問題全国協議会では「第一次資料から見た日本基督教会-遠軽教会・滝川教会資料を中心に-」と題して、北海道中会での取り組みを紹介していただき、実際に第一次資料を見ながら協議を深めることを試みた。

 まず、渡辺輝夫牧師(夕張伝道所)がこのような調査に至った経緯を説明してくださり、具体的に滝川教会に保存されている週報を中心にパワーポイントファイルで紹介された。例えば、1940年11月3日の明治節礼拝の週報では、礼拝の中で君が代斉唱が行われ、金属品奉納の呼びかけがなされている。また、翌年10月5日の週報では防空演習のため婦人会が中止になったとある。北海道の諸教会が、教団本部の意向に即応している様子は驚くばかりである。

 次に、畑知佳牧師(遠軽教会)が、今回の調査のきっかけになった「1940年3月21日付旧日基大会議長富田満の書簡」を紹介され、宗教団体法成立、教団加盟を経て、遠軽教会が宗教報国に邁進していく様子について、種々の資料を提示しつつ解説された。皇紀2600年紀元節礼拝、大東亜戦々勝祈願特別礼拝式、大詔奉戴(天皇の詔勅をつつしんで承ること)礼拝式の週報や諸集会の様子、教会の鐘の奉納など、詳細でリアルな報告であった。

 最後に、稲生義裕牧師(札幌豊平教会)が、独自の戦争罪責告白を表明した札幌豊平教会が、証の歩みとして、いかにしてディアコニアの活動に取り組んできたのかについて、受けてきた恵みとともに、紹介してくださった。

 戦後、日本キリスト教会は、具体的な個々の教会の歩みについて、第一次資料を用いて検証する機会はほとんどなかったのではないだろうか。この協議会を嚆矢として、北海道以外の教会に残されている資料についても発掘を行い、世代を超えた研究会を立ち上げたいと願っている。

全国青年の集い報告

北海道の青年から見た第3回全国青年の集い

鈴木 瞭(札幌北一条教会会員)

 2023年9月16日(土)~ 18日(月)に「第3回全国青年の集い」が北海道で開催されることとなり、2022年の11月から札幌北一条教会青年会及び札幌桑園教会の青年による合同「北海道チーム」で集いの準備を始めました。開催1日目は受付を兼ねた札幌留学生交流センターが会場となり、初対面の青年でも関わりやすいプログラムの中、年代別グループトークや運動会を行いました。2日目の午前中は札幌北一条教会の礼拝に参加し、多くの青年らに埋め尽くされた会堂内は久しぶりに活気にあふれた讃美歌で満たされました。午後からはグループトークの後に5コースに分かれてフィールドワークに出かけ、用意された見応えのある観光名所を見学し、最後は北海道ならではの夕食を食べました。3日目は札幌琴似教会を訪れ、2日間にわたるグループトークのまとめとその発表を行い、各グループの熱のこもった発表を聞くことができました。

 今回の青年の集いは大都市圏から遠い北海道での開催でしたが、20代の青年が数多く参加されていたこともあり、今後の「全国青年の集い」も盛会が期待できそうです。最後に、ご協力ご支援いただいた皆様、ならびに青年を送りだしてくださった教会の方々に感謝申し上げます。    

◆出版局委員会から◆

◇お詫びと訂正

 このたび刊行されました『家庭礼拝暦』の1~6月号に誤りがありました。表紙の「家庭礼拝暦」というタイトルの上に「2024年1月~3月」とありますが、これは「2024年1月~6月」の間違いです。お詫びして訂正いたします。「2024年1月~6月」と書かれたシールをお送りしましたので、誤表記の上に貼付していただけましたら幸いです。今後は間違いのないよう、さらに厳しくチェックしてまいります。

 

◆定期中会開催予定◆

・北海道中会 第73回定期中会

 3月19日(火)~ 20日(水)札幌北一条教会

・東京中会 第73回定期中会

 3月19日(火)~ 20日(水)横浜海岸教会

・近畿中会 第73回定期中会

 3月14日(木)神戸湊西教会

・九州中会 第72回定期中会

 3月20日(水)福岡城南教会

 

◆各中会行事予定◆

◇近畿中会

「2・11学習会」が2月12日(月・休)午後1時30分から大阪北教会で行われます。主題は「信教の自由を求めて~地域で生きるキリスト者の希望~」です。

◇九州中会

・在日大韓基督教会西南地方会・日本キリスト教団九州教区・日本キリスト教会九州中会共催「関東大震災から100年~虐殺犠牲者追悼集会~」が2月20日(火)、福岡城南教会で行われます。

 

◆出版局主催講演会のお知らせ◆

 日時:2024年6月30日(日)午後3時~5時

 場所:大阪西教会

 講師:齋藤篤(日本基督教団仙台宮城野教会牧師)

 主題:「カルト問題を考える(仮題)」